@article{oai:konan-u.repo.nii.ac.jp:00004120, author = {藤本, 建夫 and FUJIMOTO, Tateo}, issue = {3・4}, journal = {甲南経済学論集, Konan economic papers}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 前2号では平生釟三郎の目を通して日本の武士道精神と商道徳の退廃を見てきたが,本号では彼が,日本社会を“liberate” する,との強い意志で立ち向かっていった姿を紹介する。まず教育者としての平生。彼は中学校,高等学校を設立し,学生の「天賦の知能をpull out する」ことを考える。また医療にも多大の関心を寄せ,資金を募って甲南病院を創設する。他方で実業家としての彼は,経済を繁栄させるには自由貿易が不可欠と考え,大阪自由通商協会創設に参画し,他方で倒産の危機にあった川崎造船所を立て直し,社長として労資協調に尽力し,川崎病院を建設し,ユニークな職工学校を開設する。さらに彼は経済外交の分野でも並外れた能力を発揮し,経済使節団長としてブラジルに赴き大きな成果をあげる。政治家としては,2.26事件後に成立した廣田弘毅内閣の文部大臣として,国字問題など理想と考える改革案を構想し提案するが,内閣が途中で倒壊し実現には至らなかった。}, pages = {93--279}, title = {実業家・教育者平生釟三郎における“liberate” な社会と軍事国家体制との相克(3) 平生日記(1913.10.7.~1945.10.12.)に見る戦前日本の実像}, volume = {62}, year = {2022}, yomi = {フジモト, タテオ} }